一、くらしの中の方言(9) ばかけ・ほじなし横手の方言にみられる侮蔑・罵倒などの語として、その代表格にあげられるのが、「バカケ」「ホジナシ(ホジネァ)」でしょう。この「バカケ」「ホジナシ」は古い時代の仏教との関係がふかいとされるようです。 まず、「バカケ」からみていきます。 「バカ」は標準語で、「馬鹿」などのように漢字で書かれますが、どうして「馬・鹿」の動物名があてられたのかは、よくわかりません。方言でいう 「バカケ」は、問題は「…ケ」にあるようです。『秋田方言辞典』では次のようです。
出身を梵語とする「バカ」ですから、意味ぶかい語とはいえましょう。 辞書から学ぶことは、さすがに大きいものがあります。ところで、「…ケ」については、いくつかの説があるようで、辞書でもいうように、「タクランケ」の「ケ」と同じだといっています。「タクランケ」も横手の方言のひとつです。しかし、昭和四年刊の『秋田方言』での記載はまったく別のものです。「ばかけ」は記載されていますが、「タクランケ」はみあたりません。かわって、[「タグらんげ」(平)…裾をはしょる事]が記載されていて、おやっと首をかしげてしまうのですが、これはまったく別の語です。いまはほとんど使われなくなった方言のひとつでしょう。ただ、「たぐる」(裾をたくる)はいまも生きているのですが。 「…ケ」についてのさきの『秋田方言辞典』の解説は、やはりさすがです。
「けぁし」は鳥などの糞を指します。汚れたもの、きたないものの意を前面にとりたてて、相手を卑しめたり、ののしったりする語に使われたし、さらに「けぁし」の「し」の脱け落ちという変化をとったと解説しています。つまり、その語のもともとの意味をこえて、その語のもつ感情的な意味の側面がとりたてられたといえるわけです。 「ケシ」のもともとのかたちは「ケァシ」ですから、「ケァシ」の「シ」の脱落のあとにのこるのは「ケァ」ということになります。横手でつかわれる「バカケ」の場合、「バガケ」「バガッケ」のほかに、「バガケァ」があるのは、辞書のいうとおりなのだと考えられます。『秋田方言辞典』の著者・中山健先生(秋田市住)は、「…ケシのシの脱落か」と疑問のかたちで考えをのべられておられるのですが、それを例証する一例として、横手の方言「バガケァ」「タグランケァ」のあることを確認できるのではないでしょうか。 ただ、「バカ+ケァシ」といったもともとのかたちがあったものか、どうなのか、と問われると立証できるものをもちません(「タクランケ」の語源はおもしろいのですが、ここでは省略!)。 「ホジナシ(ホジネァ)」にうつります。
仏教からでた語であることがわかります。意味はさすがにむずかしいようですが、用例の「酔ひても本地わすれず…」などは、いまでもつかわれる意味をもっていることがわかります。『秋田方言辞典』ではどうでしょうか。
『秋田方言辞典』では、「ホジナシ(ホジネァ)」について、とりたてて出身を仏教語としてはいないようですが、いくつかの意味には仏教的なものをつよく感じさせられます。「ホジナシ(ホシネァ)」は <人の本体がない> という語ですから、「馬鹿野郎」とか「間抜け」「糞ったれ」などといった罵倒・侮蔑の程度・質をこえて、どこか人間的であり、宗教的な意味合いといったものを感じます。 <仏の教え> ということで、布教語から出た語なのかも知れません。「畜生」「餓鬼(ガキ)」などの語とともに、「本地(ほんぢ)」も仏教の教えのひとつとして、くらしのなかに伝わり、身のまわりに生きてきた語とはいえましょう。ところで、隣県の『岩手西和賀の方言』には、「ホジナシ」がみえません。湯本・湯田・沢内で知られる西和賀ですが、山ひとつ越えた南部地方に「ホジナシ」の方言のみえないのはどうしたことでしょうか。解明がまたれます。 「ホジナシ」「ホジネァ」の語の結びの、「ナシ」「ネぁ」については、『秋田方言辞典』では、「ほんじない[本地無] <形> の文語終止形による名詞化」と明確です。もともとのかたちは文語終止形による「ほんじなし」ですが、「ほんじない」と口語のかたちにかわり、さらにその、「…ない」が方言として語中に「…ai」をもつことで「…æ(エァ)」となつて「…ネア」に転訛したものです。「ホジネァ」とつかわれることが多いようです。それに、「ほんじ」の「…ん…」の脱落によって方言では「ホジ」となることが多いのですが、その使われ方によっては、「ホンジナシ」「ホンジナシ」などと、「ン」を強めたり、また弱めたりして表現的です。 それにしても思わされるのです。 「バカケァ」もときには必要な語かも知れませんが、「ホジナシ」「ホジネァ」は、あらためてみなおしたい方言のひとつといえましょう。それこそ、「ホジ出せ」「ホジつけろ」など、人間的な深い味わいをもった語として、これからのくらしに生かされていっていいのではないでしょうか。 ☆つけたし 「バカ」とは、まったく正反対の語に、「さかし」があります。口語化した「さかしい(賢しい)」は日常よくつかわれます。横手にはもうひとつ、「さかしら」があります。方言かと思ってたのでしたが、これが、なんと古語でした。古語辞典(「旺文社」)では次のようです。
「さかしら」の「か」が語中にあるため、濁音化して「さがしら」となります。この転訛は方言といえるでしょう。もともとのかたち「さかしら」は、正真正銘りっぱな古語です。「あれだバ、さがしら…」とつかわれます。この「…ら」のつかわれようは横手特有のものかも知れません。いろいろな方言集も取りあげてはいないようです。ただ、『秋田方言』では、鹿角地方の例として、
をあげていますが、おなじ接尾語だとして、「さかしら」の「ら」とはまったく違うものです。この「寝てら」と同じようにつかわれる「食(っ)たら」「見でら」「読むら」などがあげられますが、これらの「…ら」の用法は少しづつ違いがみられます。「寝てら」の「…ら」などは、その状態を指し示しているのですが、「さかしら」の「ら」の用法とはちがいがみられ、今後の研究解明が待たれます。古語研究をもとにされた『平鹿方言考』(細谷則理著)にも、これがみられないのは惜しいばかりです。 さきの「さがしら」にもどりますが、「さかしら」の意味は、「小賢しい(こざかしい)」と意味を同じにしてしまいます。辞書では次のようです。
「さかしら」の意味と、「小賢しい」の意味はまったく同じといえます。古語「さかしら」の「…ら」は、たった一字一音で、「小賢しい」(知恵があってさかしそうだが、利口ぶりがみえみえ…」と、あからさまな言い方ではないとして、品のなさを言いあてているといえます。この「…ら」のもつ、文法的なかたち、語彙的な意味はほとんど解明されていません。それにしても、この「さがしら」という方言は、くらしのなかで自在につかわれてはいるのですが、不思議といえばなんとも不思議な語でもあるようです。 |
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