一、くらしの中の方言(7) せやみ『秋田方言』(昭和四年刊)では県内の11例をあげています。
それにしても『秋田方言』は、県内の11例もの「せやみ」をよくも列記したものです。この語は、よく働く秋田県人にとって、その行動をとうぜんながら特別視したものだったかも知れません。県内11例とはいっても、その大半が県南部で、(平鹿)の用例は七つを数えますから、「せやみ」のほとんどが(平鹿)の方言といえるようです。 この11例をこれからの説明のためにまとめてみると次の三通りになります。
まず、<a>「せやみ」からみていくことにしますが、古語辞典をいくらさがしてもありません。<b>「せこき」も、<c>「せやめる」も同じです。『広辞苑』にもみえません。 横手の方言のなかでも、よく話題になり、また問題になるのもうなづけます。 これまでの通説として「背病み」をあて、なるほどとうなづいたり、「背中(背骨)が病む」のたとえ話にユーモアを覚えたりしてきたのですが、これとは別に、「精(が)病む」という説にもなるほどと考えさせられたり、辞書にもない方言ということで、まったく手さぐりのままといった感じの語でした。 あたらしく出された『秋田方言辞典』では次のようです。この辞典では、「せやみ」のほかにも関連する語をいくつかあげて、くわしい解説がなされているのですが、ここでは、以下要点のみに。まず、「せやみ」からみていくことにします。
『同書』は[「背病み」(む)とすべき]…としています。このことはあとでもう一度とりあげますが、まずは、<b>「せこき」、<c> 「せこかし」に歩をうつすことにします。『同書」の「せこき」「せこかす」の項は次のようです。
「セヤミ」はセヤミコキの中略形と考えられるし、「セコカシ・セコケル」(背転(こか)し ・背転(こけ)る)などの同義語、その名詞化セコケがもともとの語と考えていくとわかりやすいように思われます。 整理すると、まず、「背病み」があり、その同義語の「背転(こか)し」のあとがわかります。その「セヤミ」から「セヤミコキ」がうまれ、もうひとつの「セコカシ」から「セコカス」「セコケル」がうまれていったとみることができます。もとの語から、似たもうひとつの語がうまれることを派生(はせい)というようです。 ところで、もとにもどって、「セヤミコク」の「コク」(セヤミコキのコキ)は、「セコケル」「セコカス」とは別です。これは「うそコク」の「コク」と同じです。 『同書』では次のようです。
さきに『秋田方言』での「せやみ」の用例11を三分類したつもりでしたが、これはどうも四分類にした方がいいように考えられます。同じことの繰り返しになりそうですが、まとめのつもりで、四分類を次にあげてみます。
<c>については、筆者の理解が浅いため、どうまとめようかとずいぶん迷いましたが、仮にこのようにまとめてみたもの。 おしまいに、「精病み」としないことを、『秋田方言辞典』はのべていますが、これはこういうことのようです。それは、「精病み」と考えられないこともないのだが、「セコケル」では「精転(こけ)る」とはならない……「精」はモノではないのだから。だから、「…転(こけ)る」のはモノとしての「背(骨)」とし、統一的に「背病む」「背転(こか)す」とすべき……ということのようです。なるほどとなっとくさせられます。 古語辞典・『広辞苑』にもみえない方言「背病み」「背こかす」など、動勉に働くことをだいじにし、そのうえ、なおユーモアたっぷりの意もこめて、そこに人間観察のするどさ・ふかさをみせるなど、この語の成立と発展には目をみはらされます。辞書にはないなどと卑屈に落ちるのでなしに、横手にはこんな方言があるのだと、かえって自慢していい方言のひとつといえるのではないでしょうか。 |
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