* おわりに退職してがら、20年です。はやぐがら、まどめねバとゆうきもちはあたンしども、ながなが果だせなくてンしょ。 『山内村史』編纂の手伝い、つづいて『十文字町史』編纂の手伝いとしばらくつづき、そのあとは古文書づいてしまい、「平鹿町古文書研究会」「山内古文書講座」、つづいて、「横手古文書勉強会」と数年学びました。これは、いまもつづいています。そうこうしているうちに、『横手市史』編纂室での古文書解読の手伝いとつづきました。途中、心筋梗塞の大手術をうけたりなどのハプニングもあったり。 体調ももどり、去年あたりから、やっと自分らしい時間を持てるようになり、それこそ、恩返しのまとめにとりかかったのですが、じっくりおちついた整理も、検討などもないままのはずかしいできあがりに当惑しているしまつです。 この地域で、方言について書かれたものは少なく、ただ、『横手町郷土誌』(明治末年代刊)にある、『平鹿方言考』(細谷則理著)があるのみといえましょう。各郡市町村ごとの方言が収集された昭和四年刊の『秋田方言』(県学務課編)のあることもさきににふれたとおりです。これらについては、もっと精密な考察がなされなくてはならないのですが、今後の課題といえましょう。 おもしろいものに、『横手方言見立番附』(横手市観光協会勧進元)があります。東方横綱「んだんだ」、西方横綱「んでねぇ」など、東方約80語、西方約80語、ほか10語、合計約170語といった方言が、ならべられた番付表です。基準となる「見立て」は、横手を代表する方言ということのようです。それなりの考察があってのものではなく、いわゆる観光向けの“おもしろさ”なのでしょうが、この『方言散歩』ではふれませんでした。 もうひとつ、ぜひ書きとめておきたいことがひとつ。 いまは故人の小川次男氏(もと、“やすらぎの苑”の内科医師)のこと。稲川町ご出身の方で、熱心な方言研究家でもありました。 先生の呼びかけで数人、一夜、横手の方言あれこれを話し合ったことがあります。先生は内科医師というお仕事柄、患者さんとの応答(やりとり)のなかから、方言の形容詞、また副詞についてのご教示を、たいへん興味ぶかくお聞きしたものでした。例えば、腹が病む状態のようすを、「ちくちく」「ぢくぢく」「ぢぐぢぐ」とあらわす語、さらに、「ぢっぐぢく」「ぢっぐぢっぐ」「ぢぐらぢぐら」など、病みの質、程度をさし示す語のカード作りをなされていたようです。お医者さんらしい方言へのアプローチに感銘をふかくしたものです。しかし、病気のため、東京でまもなく亡くなられたとお聞きし、すぐれた方言研究の先達をうしなった無念さを噛みしめたものです。このつたない『横手/方言散歩』をご仏前に報告し、先生のご冥福をお祈りいたします。 さて、終わりのおわりになってしまいましたが、『平鹿方言考』での古書の読みについては、田牧久穗氏(県歴教協会長)のおかげで、古語「イガ」について理解することができました。ありがとうございました。ふかくお礼申しあげます。 また、駒木勝一・田鶴子ご夫妻には、貴重な資料をみせていただき、細谷則理の生きたあしどりの確証をとらえられたことは、うすっぺらなわたしの記述にふかい事実性を与えていただくことになり、ふかく感謝いたします。ありがとうございました。 わたしの一台目のワープロはダメになってしまい、病院のベッドの上でも打ったりしたワープロは二台目。これは小坂良太郎氏からお借りしたもの。さすがに性能がよく重宝しました。ふかくお礼申しあげるばかりです。 わだしごどになるのですが、わだしの持病・糖尿病を気遺い、食事療法、それに歩げ歩げの運動やら、からだづくりのカジ取り役の妻・照子に助けられてでぎだしごどどもいえます。どもな、ありがどさんのひとごどを書き添えて終わりとします。 2007年(平成19年)3月 小川 笙太郎 |
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