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横手/方言散歩

はじめに

『横手/方言散歩』をおとどけいたします。

おりおりに書きためたものをノートから引っ張り出し、あれこれ寄せ集めただけのものです。これまでお世話になった地域への恩返しという気持ちをこめたつもりのつたない一冊子ですが。

『方言散歩』の名の示すように、ぶらりと出掛けては、みつけた方言を、あれこれしらべただけのもので、研究などということからは程遠いものでしかありません。わたしは、春先のワラビ採り大好き人間で、ぶらりと出掛けては、みつけたワラビを一本一本採るのですが、この『方言散歩』も出会ったひとつひとつの方 言をあれこれちょしてみた、≪方言しらべ書き≫といったほどのものです。ひとり楽しんでいるような始末で、そうした身勝手さは、ごめんしてください。

これまで、地域で方言が語られるとき、「こんな方言がある」「こんな方言もあった」というふうに、方言の蒐集、また、ほりおこしに力点がおかれ、方言のなつかしさ・おもしろさが語られてきたように思われます。たとえば公民館活動のなかで老人向け講座のひとつとしてなど。もちろん、明治末年代の「方言蔑視」という国家的風潮のさなかの時期に、『平鹿方言考』(細谷則理著)が、「音声」また、「語法」のもつ学問的なふかい考察によって、方言が科学的に語られはしたのですが、記録のなかに眠ったままであったりもしました……。

わたしらが、サークル(県南の国語教育研究部会)に集まり、そこで音声学に出会い、その手ほどきをしていただいたのが上村幸雄先生(当時、国立国語研究所員)のお力添えのおかげです。「コトバ」をとおして、教育を科学的にとらえることのたいせつさを学びました。年に数回の音声学講座の勉強会でしたが、最劣等生をとおしつづけたのがわたしでした。

「音声学」(「言語の音声を研究する言語学の一領域」)というのは、発音のしかた・しくみを研究する学問のひとつです。音声教育、また、言語教育についてはここでは略しますが、「音声学」を勉強したおかげで、方言そのものを、その発音のもつしくみそのものにつよく目が向くようになり、同時に方言を育てあげてきた地域の人たちのくらしへの考え・気持ち、また、それらをつらぬく歴史をみることのたいせつさに気づくことになったようにふりかえります。

そうした音声にかかわっての一例が、「とぜねぁ」や、「ほぢねぁ」です。おなじ「ねぁ」なのですが、もとのかたちの「ほぢ無い」はわかるとしても、「とぜ(徒然)ない」では、「徒然無い」としてしまう訳にはいきません。「…ない」の文法的なかたち、意味についての不勉強さからでした。この「…ねぁ」は方言だとしても、文法と音声の両面からみていくことのたいせつさを教えてくれるものでした。ロクた力もねぁものが、ちょすとこんなしまつをしでかす一例といえましょうか。

さきに、ワラビ採りの指に音はじくよろこびに似て…などと書こうとしたのですが、実際はひとつひとつの≪方言しらべ書き≫は悪戦苦闘の連続。正直なところ“苦あれば楽あり”が本音でした。たくさんの辞書類に助けられましたが、力のないわたしをいつも励ましてくれた一番の辞書は『秋田方言辞典』(中山健著)でした。方言のことは、この辞書に聞け!で、この辞書のおかげで『方言散歩』の道がいっそう楽しくなったものです。

多くの方たちの歩まれた道を追い、たくさんの辞書類に助けられての『方言散歩』でした。ぶつかるたびに、ため息ついての悪戦苦闘ぶりを笑ってたんせ。地域への恩がえしなどとはいえない、おたものになってしまい、このあと出会ったときなど、きついご助言、ご叱正のことなどお願いいたします。


2007年(平成19年)2月14日(満79歳の誕生日に)
小川笙太郎
(横手市上内町8/16)


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