一、くらしの中の方言(1) とぜねぁ『秋田方言』(昭和四年<1929>秋田県学務課編)によると次のようです。
おもに県南部の方言としてあげられているようですが、横手や山内などでは、よくつかわれます。「とぜネ(とじぇネ)」といったり、また、「とぜネァ(とじぇネァ)」といったりしますが、そのもともとのかたち、「とぜん(徒然)」について、『秋田方言』でも平鹿・河辺の例をあげています。でも、「とぜん(徒然)」を方言としていることには疑問をもちます。これは、「古語」といわれるものでしょう。それこそ、「広辞苑」などにも、ちゃんと出ていることばですから。「とじぇん」や「とぜネァ」のように音変化(訛ったり)したものは、また別ですが。
この「徒然」は、【つれづれぐさ(徒然草)】(吉国兼好著)から、きていることは、よく知られています。もうちょっと、「広辞苑」をのぞくと次のようです。
吉田兼好法師は鎌倉時代後期の人ですが、「つれづれ」ということばはもっと古く、「源氏物語」にもみえるといわれます。「とぜん」は、その音読みで、「つれづれ」は訓読みです。「つれづれ」は古語のひとつです。「わだつみ」「ふみ」「かわず」「わらしべ」なども古語のなかま。ただ、「徒然」という漢字のあてられたわけなどは、よくわかりません。 「秋田ことば語源考」(平成八年/三木藤佑著)には、『蝸牛考』 (1927年/柳田国男著)を引いて、
と、語源というよりは、「とぜん」のいくつかの意味に焦点を向けられているようです。それに、「語源考」では、
ところで、語源はともかくとして、<「徒然ネェ」は、「徒然ナ」の訛り> だと考えるのが、これまでの通説であったといっていいでしょう。 この「秋田ことば語源考」は、その代表的なものです。 ここで問題点がふたつ出てきます。ひとつは、<とぜんない> の <…ない> のもつ文法的な意味についてです。もうひとつは、<とぜんナ> が、<とぜんネェ> と訛ったとする、その音変化の正体についてです。 〇 <とぜんない> の <…ない> のもつ文法的な意味これは、わたしの不勉強をさらけだすことになってしまうのですが、まあ、散歩の道すがら風に吹かれてみるのも一興!これには長い間苦しめられました。これも古語のひとつかと思われますが、「本地(ほんぢ)ない」も横手・山内などでは、よく使われます。「本地なし」のかたちがあるように、<ない・なし> は <ほんぢ> を打ち消すはたらきをとります。方言の「ほぢネァ」もその音変化です。すると、「せわしない」「さびしない」などは、<ない> の打ち消すはたらきによって、もともとの意味を失ってしまうことになります。「とぜんない(とぜネア)」も同じで、<ない> によってもとの意味を打ち消され、「徒然〜退屈で淋しいさま」が否定されてしまうことになります。まったく逆の意味ということになってしまいます。 これには、ずいぶん長い間、迷わされてしまいました。「徒然」どころか、あたまの痛い問題だけにあきらめかけていたとき、なにげなく新聞をみていたら、「今様こくご辞書」(読売・日曜版)が目にとびこんだのです。なんと、これが答えでした。
この一文は、「足元は覚束(おぼつか)ず」のあやまりについてとりあげていたものですが、まったく、「徒然ネァ」のために書かれたようなものでした。<…「ない」は、程度のはなはだしい意味を表す> …これが、まさしく、「とぜネァ」の正体だったのです。「忙(せわ)しない」は、そのいそがしさのはなはだしい意であって、「忙しさ」を打ち消すものではなかったのです。方言の中に、「淋しネァ」がありますが、これも「淋しい」のはなはだしい意味でつかわれてきたもので、これほど、淋しさをふかくあらわしたことばを知りません。「淋しネァ」が、ふだんのくらしから遠くなっていくことは、なんとも「淋しネァ」ことです。 この「ナイ」のことを、「秋田方言辞典」(中西健著)は明解です。
それにしても、もっと早く「秋田方言辞典」を調べるべきだったと反省しきり。散歩の足をちょっとのばせば、図書館の書架にでんとある辞書なのですから。 〇[とぜんない]から[とぜネァ]への音変化について「秋田ことば語源考」での <…私達の地方では、「徒然な」が「徒然ネェ」と訛って今日に伝わっていると考えたい。> として、「徒然ネェ」としているのですが、この「…ネェ」は、「…ネア」だろうと考えます。ちょっとだけ立ち寄ってみると次のようです。 「とぜネァ」の理解のために、もう少し用例をあげてみましょう。 これらは、語中に「…ai」をもちます。名詞では「貝(Kai」のほかに、「二階(niKai)」「三枚(SanMai)」などもあり、形容詞では、「甘い」のほかに、「冷たい」「少ない」などもあげられますが、どれも語中に「…ai」をもつので、東北方言では、「…æ(エァ)」と発音されるという、法則的な特徴をもつとされます。だから、a でもない、e でもない、その中間の「æ」は、東北方言のもうひとつの母音だとされるわけです。
もう一度、「とぜネァ」にもどると、もとのかたち、「とぜんない(とぜない)」が、語中に、「…ai」をもつので、「tozenæ(トゼネァ)」と発音されるわけです(「とぜん…」の(ン)の脱落も東北方言に共通する法則的なもの)。 終わりに、「トジェネァ」と「トゼネ」の音変化について少し触れてみることにします。まず、「ゼ」が「ジェ」に音変化するのは、「セ」が「シェ」になるのと共通する方言のもつ法則的なものといえます。い い例が、「せんせい(先生)」・「せんべい(煎餅)」の「せ」は方言ではきまって「しぇんしぇ」「しぇんべ」と発音されます。だから、「ぜんまい(薇)」は「じぇんめぁ」、「ぜに(銭)」は「じぇん」「じぇんこ」などと発音されるように法則的な音変化をとります。 たかが方言ですが、されど方言です。少し歩きつかれました。では、方言散歩も、まずはここらで…。 ★つけたし藩政期、文化十四年(1817)の「御境土形御用諸色日記帳」(仙北郡乙越邑拠人・伊藤重四郎)は、横手山内村と南部藩との藩境の山々沢々の絵図作成の藩命をうけて記録した「御用日記」といわれるものです。「仙北郡乙越邑」は現在西仙北町強首。この「御用日記」の四月十二日、十三日に、「とぜん」が見えていて、たいへん興味深いものがあります。横手山内小松川に入っての記録です。
今でいう扁桃腺炎にかかり、ついには、それが破れてしまうほどの難儀。そうした数日の日記に、「とぜんと」、「と前に」というかたちでつかわれていたことがわかります。「と前」は当て字なのでしょうが、書きことばとしての「とぜん」のつかわれ方を残している資料といえます。 拠人(こにん)は、「苗字帯刀を許されている者もいたが、またその土地に長く土着した有力百姓、いわゆる旧家と称される者が任命された」(「西仙北町史」)といわれ、村役人のような肩書で、ふつう一般の農民とはちがうようです。ふつうの農民、町人たちは、あるいは、「とぜネァ」とつかっていたのかも知れません。それがわかったら、たいしたものです。やはり、たかが方言、されど方言!といえましょう。 |
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