横手方言散歩サイトロゴ

一、くらしの中の方言

(1) とぜねぁ

 

『秋田方言』(昭和四年<1929>秋田県学務課編)によると次のようです。

とぜだ(雄)さびしい(淋しい)。 「お婆さんに逝かれて とぜだ」
とぜねぁ(仙・平)さびしい(淋しい)。 「一人ぼっちで とぜねぁ」
とぜん(平)退屈。さびしい。「今日は留守番で とぜんだ」
とじぇん(河)とぜん(徒然)。

おもに県南部の方言としてあげられているようですが、横手や山内などでは、よくつかわれます。「とぜネ(とじぇネ)」といったり、また、「とぜネァ(とじぇネァ)」といったりしますが、そのもともとのかたち、「とぜん(徒然)」について、『秋田方言』でも平鹿・河辺の例をあげています。でも、「とぜん(徒然)」を方言としていることには疑問をもちます。これは、「古語」といわれるものでしょう。それこそ、「広辞苑」などにも、ちゃんと出ていることばですから。「とじぇん」や「とぜネァ」のように音変化(訛ったり)したものは、また別ですが。

ちょっと寄り道して、「広辞苑」をのぞいてみます。

とぜん(徒然]
することもなく退屈なこと。つれづれなこと。・・手持ちぶさた。
空虚

この「徒然」は、【つれづれぐさ(徒然草)】(吉国兼好著)から、きていることは、よく知られています。もうちょっと、「広辞苑」をのぞくと次のようです。

1324〜31年に書かれたもの。「つれづれなるままに」と筆を起こし、内容は種々の思索的随想や見聞など243段より成る。名文の誉れ高く、「枕草子」と共にわが国随筆文学の双璧。

吉田兼好法師は鎌倉時代後期の人ですが、「つれづれ」ということばはもっと古く、「源氏物語」にもみえるといわれます。「とぜん」は、その音読みで、「つれづれ」は訓読みです。「つれづれ」は古語のひとつです。「わだつみ」「ふみ」「かわず」「わらしべ」なども古語のなかま。ただ、「徒然」という漢字のあてられたわけなどは、よくわかりません。 「秋田ことば語源考」(平成八年/三木藤佑著)には、『蝸牛考』 (1927年/柳田国男著)を引いて、

「…トゼンという語は徒然の音というよりほかに、別の起源を想像し得ないものだが、北九州ではやや広い区域にわたって、これを単に退屈というだけでなく、淋しいまたは腹がへったという意味に用いて、トゼネェなどという形容詞ができている。南秋田の海近くの地においても、自分は直接にその同じ意味に使われるのを耳にした。」

と、語源というよりは、「とぜん」のいくつかの意味に焦点を向けられているようです。それに、「語源考」では、

「… <とぜんない> を淋しい意味に使っているのは青森・秋田県と高知・大分県の日本の両端になっている。九州では <とぜんなか> という言い方もある。…(略)…私達の地方では、<徒然ナ> が、<徒然ネェ> と訛って今日に伝わっていると考えておきたい」

ところで、語源はともかくとして、<「徒然ネェ」は、「徒然ナ」の訛り> だと考えるのが、これまでの通説であったといっていいでしょう。 この「秋田ことば語源考」は、その代表的なものです。 ここで問題点がふたつ出てきます。ひとつは、<とぜんない> の <…ない> のもつ文法的な意味についてです。もうひとつは、<とぜんナ> が、<とぜんネェ> と訛ったとする、その音変化の正体についてです。

〇 <とぜんない> の <…ない> のもつ文法的な意味

これは、わたしの不勉強をさらけだすことになってしまうのですが、まあ、散歩の道すがら風に吹かれてみるのも一興!これには長い間苦しめられました。これも古語のひとつかと思われますが、「本地(ほんぢ)ない」も横手・山内などでは、よく使われます。「本地なし」のかたちがあるように、<ない・なし> は <ほんぢ> を打ち消すはたらきをとります。方言の「ほぢネァ」もその音変化です。すると、「せわしない」「さびしない」などは、<ない> の打ち消すはたらきによって、もともとの意味を失ってしまうことになります。「とぜんない(とぜネア)」も同じで、<ない> によってもとの意味を打ち消され、「徒然〜退屈で淋しいさま」が否定されてしまうことになります。まったく逆の意味ということになってしまいます。

これには、ずいぶん長い間、迷わされてしまいました。「徒然」どころか、あたまの痛い問題だけにあきらめかけていたとき、なにげなく新聞をみていたら、「今様こくご辞書」(読売・日曜版)が目にとびこんだのです。なんと、これが答えでした。

<…「おぼつかない」は、打ち消しの助動詞「ない」ではないから、「ず」や「ぬ」に置き換えられない。…「何気に」のところで、性質・状態を表す語には接尾語「ない」が付いた言葉をいくつか紹介した。「せわしない」「減相もない」「大層もない」である。…「ない」は程度のはなはだしい意を表す…>(石山茂利夫)

この一文は、「足元は覚束(おぼつか)ず」のあやまりについてとりあげていたものですが、まったく、「徒然ネァ」のために書かれたようなものでした。<…「ない」は、程度のはなはだしい意味を表す> …これが、まさしく、「とぜネァ」の正体だったのです。「忙(せわ)しない」は、そのいそがしさのはなはだしい意であって、「忙しさ」を打ち消すものではなかったのです。方言の中に、「淋しネァ」がありますが、これも「淋しい」のはなはだしい意味でつかわれてきたもので、これほど、淋しさをふかくあらわしたことばを知りません。「淋しネァ」が、ふだんのくらしから遠くなっていくことは、なんとも「淋しネァ」ことです。

この「ナイ」のことを、「秋田方言辞典」(中西健著)は明解です。

【とぜない・とぜんたい[形]】
<…この形容動詞の語幹「とぜん」に形容詞をつくる接尾語ナイ・タイがついて成立したもの。ナイもタイも状態を表す語について形容詞を作り、程度の甚だしい意を表す。ナイは「切ない」「はしたない」など、また「大層もない」「減相もない」など「も」の入った形で用いる。タイは「めでたい」「うしろめたい」など。
…(略)…
[トンゼンナイ]から[トンゼネァ・トンゼネ→トンジェネァ・トンジェネ→トンジャネァ]と転ずるとともに、「トンジナイ→トンジネァ→トンジナァ]と転じたもの(…略…)。>

それにしても、もっと早く「秋田方言辞典」を調べるべきだったと反省しきり。散歩の足をちょっとのばせば、図書館の書架にでんとある辞書なのですから。

〇[とぜんない]から[とぜネァ]への音変化について

「秋田ことば語源考」での <…私達の地方では、「徒然な」が「徒然ネェ」と訛って今日に伝わっていると考えたい。> として、「徒然ネェ」としているのですが、この「…ネェ」は、「…ネア」だろうと考えます。ちょっとだけ立ち寄ってみると次のようです。

母音図解

これは、「東北方言の母音」について述べている、「にっぽんご5 発音とローマ字」(教育科学研究会・秋田国語部会著/1966年発行)からの引用です(「発音とローマ字」を学ぶための小学校中・高学年用教科書としてつくられたもの)。その[「23 東北方言の音声」 (1)母音]のまとめの項にあたる部分ですが、発音図のくわしい説明などは、いまここでは省略します。 説明の中に、<標準語と東北方言> とのいくつかの比較が示され、a の母音でもない、e の母音でもない、その中間にあたる母音「æ(エァ)」がわかりやすいように説明されています。

「とぜネァ」の理解のために、もう少し用例をあげてみましょう。

これらは、語中に「…ai」をもちます。名詞では「貝(Kai」のほかに、「二階(niKai)」「三枚(SanMai)」などもあり、形容詞では、「甘い」のほかに、「冷たい」「少ない」などもあげられますが、どれも語中に「…ai」をもつので、東北方言では、「…æ(エァ)」と発音されるという、法則的な特徴をもつとされます。だから、a でもない、e でもない、その中間の「æ」は、東北方言のもうひとつの母音だとされるわけです。

貝(かい)ケァ(kæ)
甘い(あまい)アメァ(amæ)
無い(ない)ネァ(næ)
少ない(すくない)スクネァ(sukunæ)
本地ない (ほんぢない)ホンヂネァ(honjinæ)
忙しない(せわしない)セワシネァ(sewasinæ)

もう一度、「とぜネァ」にもどると、もとのかたち、「とぜんない(とぜない)」が、語中に、「…ai」をもつので、「tozenæ(トゼネァ)」と発音されるわけです(「とぜん…」の(ン)の脱落も東北方言に共通する法則的なもの)。

だから、「徒然ない」の方言、「とぜない」を正確に表記するとすれば、「とぜネェ」ではなしに、「とぜネァ」となるわけです。「秋田方言辞典」は、その正確さをよくあらわしている辞書といえましょう。

終わりに、「トジェネァ」と「トゼネ」の音変化について少し触れてみることにします。まず、「ゼ」が「ジェ」に音変化するのは、「セ」が「シェ」になるのと共通する方言のもつ法則的なものといえます。い い例が、「せんせい(先生)」・「せんべい(煎餅)」の「せ」は方言ではきまって「しぇんしぇ」「しぇんべ」と発音されます。だから、「ぜんまい(薇)」は「じぇんめぁ」、「ぜに(銭)」は「じぇん」「じぇんこ」などと発音されるように法則的な音変化をとります。

「とぜネ」は「とぜネァ」からの音変化です。「…ネァ」が短かめに「ネ」と発音されたものですが、これは、「トゼネ」また、「トジェネ」とつかわれるときの場、状況がとらせる表現的な音変化のひとつといえるでしょう。もともとのかたち「とぜネァ(とじぇネァ)」の「ネァ」を強めたり、よわめたりして、短めに発音される表現的な音変化ということです。方言のもつ音変化にも、それなりの法則がはたらいているわけです。

たかが方言ですが、されど方言です。少し歩きつかれました。では、方言散歩も、まずはここらで…。

★つけたし

藩政期、文化十四年(1817)の「御境土形御用諸色日記帳」(仙北郡乙越邑拠人・伊藤重四郎)は、横手山内村と南部藩との藩境の山々沢々の絵図作成の藩命をうけて記録した「御用日記」といわれるものです。「仙北郡乙越邑」は現在西仙北町強首。この「御用日記」の四月十二日、十三日に、「とぜん」が見えていて、たいへん興味深いものがあります。横手山内小松川に入っての記録です。

「四月十二日見分
…私しは宿重郎左衛門殿より伝馬壱匹指出被下… 横手鍛治町順民様(医者?)へ参り候テ 夫(それ)よ り薬持参致シ せんじ 食べ申し候テ 私しただ一 人居リ申し候 とぜんと申すやら さみしぐ暮ら し居…口のど無残大ぎにやみ居候処、十三日朝七 つ頃 口やぶれ申し候て…」

「十三日、
…大雨にて同役衆は御境ふ本に泊候哉、罷帰り不 申故 私し只壱人居候、大きに と前(とぜん)に 居り候処に 夕方ニ五兵衛様、宇兵衛殿 上黒沢組 頭八右衛門宅より 雨天に付参り候…」

今でいう扁桃腺炎にかかり、ついには、それが破れてしまうほどの難儀。そうした数日の日記に、「とぜんと」、「と前に」というかたちでつかわれていたことがわかります。「と前」は当て字なのでしょうが、書きことばとしての「とぜん」のつかわれ方を残している資料といえます。

拠人(こにん)は、「苗字帯刀を許されている者もいたが、またその土地に長く土着した有力百姓、いわゆる旧家と称される者が任命された」(「西仙北町史」)といわれ、村役人のような肩書で、ふつう一般の農民とはちがうようです。ふつうの農民、町人たちは、あるいは、「とぜネァ」とつかっていたのかも知れません。それがわかったら、たいしたものです。やはり、たかが方言、されど方言!といえましょう。


外部リンク

単語検索


ひらがな/カナ:
区別しない
区別する