一、くらしの中の方言(3) くゥ・けェ・こォ「食う」の方言に、「く ku」があります。食わせたいときは、「け ke」と命令します。いっしょに食べるときは、「こ ko」とさそいます。 動詞「食う」のその文法的な意味をまとめたのが表①です(『日本語文法・ 形態論』 鈴木重幸著の「動詞(1)」をもとにして、「食う」のもつ文法的な意味を例示したもの。表②は、その方言の場合)。
方言「く」の場合も、その文法的な意味は標準語「食う」とまったく同じです。違うのは、ただ音声(発音)だけです。 方言「く ku」は、標準語「食う」のおわりの母音「・・u」が短めになったり、あるいはまったくぬけおち(脱落)するなど、ただ、「く ku」だけの発音になります。方言のこうしたぬけおち(脱落)のかたちは、「食え kue」が「け ke」、「食った」が「くた kuta」となるように法則的です。 「食わない kuwanai が「かねぁ kanæ」となる語中の母音のぬけおちもおもしろいといえます。「食わない kuwanai」が、まずはじめに、「くわねぁ kuwanæ」になり、さらに半母音 w と母音 a とがぬけおちてしまい、「かねぁ kanæ」になってしまったものです( <næ/ねぁ> については <とぜねぁ> のところでくわしく説明)。それに、「食わせろ kuwasero」「食わせれkuwasere」などが、それぞれ 「かせろ kasero」「かせれ kasere」となるのも語中の半母音・母音のぬけおち(脱落)が法則的です。 「食う」の方言「く」をみてきたのですが、「食う」と同じ意味を持つことばに「食べる」があります。しかし、この「食べる」は方言を持っていません。 これはどうしたことでしょうか。
「食う」と「食べる」は類義語です。たとえば、「頂上」「いただき」「てっぺん」とか、「おこる」と「いかる」、「両親」と「父母」といった関係と同じです。「食べる」の場合は、辞書にもあるように、「食う」のていねいないい方という意味をもつことがわかります。もとのかたちについて辞書は、(タブはタマフ〔賜〕の転)を示しています。「食べる」のもともとのかたちが、「賜る」からの「タブ」ということは、そのはじめから、「いただく」ことを前提としているわけで、ここに「食う」との決定的な意味の違いのあることがわかります。 「食う」は、人間の生きていくうえでのもっとも重要な基本となる生理活動の一つをさします。「食う」は、まず、生物として体内に必要なものを口からいれるという生理活動のひとつをいうわけですが、しかし、「食べる」には、与えるものと与えられるものといった前提がまずあり、そこからの儀礼的なていねいさをもっていて、「食う」とは違う意味内容をもつといえます。 方言「食う」にも、ていねいさを示すのに「食ンしイ」「かねンしイ」があるし、ほかのことばと結びついて、「食ってたンせ」「かねでたンせ」などもあって、横手地方ならではのていねいさを育てているのもおもしろいといえます。 |
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