五、平鹿方言考(細谷則理著)を歩く(3-1) 平鹿方言考を読む |
一、 | あ 「あ」は正しく発音す(以下、正しく発音するをば省きて記さず)。アレダ、コレダの意の「あーだ」「こーだ」の「あ」は a と引音に発音すれども、「ああ寒い」などの「ああ」は aa と二音節に発音す。 | ||||||||||||||||||||||||
二、 | い 「い」は舌尖を下門歯の下部に着けて発音す。此の他、「き」「し」「ち」「に」「ひ」「み」「り」も皆同じ。 | ||||||||||||||||||||||||
<イ> 語頭なる「い」 純国語なるは、いく(幾)、いけ(池)、いささか(聊)、いそぐ(急ぐ)、いた(板)、いづみ(泉)、いと(糸)、いぬ(犬)、いろ(色)等の如く、ク、ケ、サ、ソ、タ、ツ、ト等の上なるは、イと発音すること鮮けれども、他はエと発音す。 漢語なるは一人、意地、医者等は、エと発音すれども此の他は、エと発音すること少し。 いそンぐ、いンづみ、の如く上に少し鼻音を帯びたる濁音は、く、つ、の如く記す。 | |||||||||||||||||||||||||
(*注①) | |||||||||||||||||||||||||
(ロ> ア韻の下なる「い」 稀には、あえ(藍)、やえ(八重)、さいわい(幸)、くわえ(慈姑)等の如く、エと発音するもあれど、多くは a i をエィヤの如く発音す。 今此の音を表すべき適当なる仮名を思ひ得ざれば、仮名にては エャ、ケャ、ゲャ、セャ、ゼャ、テャ、デャ、ネャ、へャ、メャ、レャ等を用ゐ、即ち羅馬字(ローマ字)にてはye を用るて之を表す。 例、
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(*注②) | |||||||||||||||||||||||||
<ハ> イ韻の下なる「い」 之は引音のもの、二音節のもの多く、イと発音す。即ち、引音のものは キーテ(聞いて)、ヒーテ(引いて)の如く発音し、二音節に呼ぶものは siite(強いて) kamiire(紙入)の如く発音す。 | |||||||||||||||||||||||||
<二> ウ韻の下なる「い」 漢語のルイ(類)、ユイゴン(遺言)、の如く、イと発音してエと発音することなし。 純国語はクイモノ(食物)、クイ(悔)、ヌイモノ(縫物)等の如く、イと発音するものもあれど、ヌエテ(抜いて)、フエテ(吹いて)、ムエテ(向いて)等の如く、「き」の音便、「い」「の」「て」に連るは、エと発音す。 但し、漢字の「翠」「水」「粋」等は皆、スーと発音す。 | |||||||||||||||||||||||||
<ホ> エ音の下なる「い」 之は、テーネー(丁寧) セーケー(生計) へーメー(平明) 又、メイ(姪) カレイ(鰈)等の如く、純国語も皆上の音を引くのみにて「い」と発音せず。 | |||||||||||||||||||||||||
<へ> オの下なる「い」 是は、オエ(笈) コエ(鯉) オソエ(遅い) トエテ(解いて) シロエ(白い) 等の如く、エと発音す。 | |||||||||||||||||||||||||
三、 | う (略) | ||||||||||||||||||||||||
四、 | え (略) | ||||||||||||||||||||||||
五、 | か行 (略) | ||||||||||||||||||||||||
〜 | |||||||||||||||||||||||||
十一、 | な行 語の中か末にこの行の音ある時は、その上に鼻音を帯ぶ。 例 はんな(花) いんな(否) あんに(兄) おんに(鬼) いんぬ(犬) くんぬぎ(檪) いんね(稲) かんね(金) いんのち(命) とんの(殿) | ||||||||||||||||||||||||
(*注③) | |||||||||||||||||||||||||
十二、 | は行 (略) | ||||||||||||||||||||||||
十三、 | ま行 この行の音、語の中で末に在るときは、その上に鼻音を帯ぶ。 例 くんま(熊) ぬんま(沼) ゆんみ(弓) せんみ(蝉) くんむ(酌) のんむ(飲) つんめ(爪) あんめ(飴) しんも(霜) くんも(雲) | ||||||||||||||||||||||||
十四、 | (略) | ||||||||||||||||||||||||
十五、 | る 「べし」の転、「べー」「まじ」の訛、「めャ」の上なる「る」は略せらるゝこと多し。左の括弧内の片仮名は略せられたるものなり。 例 その物を著(ル)べーが、 明日早く起き(ル)べー、 この本は読め(ル)めヤ、 松は植ゑ(ル)めヤ 「る」は古くより省かれしことありけんと思しくて、歌にも文にもその例少からず見えたり。文なる「あ(ル)べか(ル)めり、「な(ル)めり」の類は、
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(*注④) | |||||||||||||||||||||||||
十六、 | れ 語の中間なる「れ」は略せらるゝことあり。タレバのレは略せられて、「書えた(レ)ば」「来た(レ)ば」「取った(レ)ども」など言ふは普通にて、村落 にては「取られた」「倒された」などを、「取ラタ」「倒サタ」、又、「取ラダ」「倒サダ」などいふ。 之も古より省かれんと思しくて、その例証乏しからざれば、次にその二、三を挙げん。
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(*注⑤) | |||||||||||||||||||||||||
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十七、 | (略) | ||||||||||||||||||||||||
<第一章音韻 以上> |
*注① | <語頭なる「い」> の項のなかに、 <純国語> という語がでています。ほかにも、この語は数回でてくるのですが、ここで簡単に説明しておくことにします。 ここでは、次のように例示されている語を <純国語> といっているようです。 | |
・池 ・板 ・泉 ・糸 ・犬 ・色 ・急ぐ ・聊(いささか) | ||
例示されてある語種は、日常多くつかわれている≪和語≫です。「もとから日本語にあった単語を和語(やまとことば)といいます」(『にっぽんご6 語い』)。≪和語≫のほかには、≪漢語≫・≪外来語≫などがあります。 この項の≪純国語≫の例示につづいて、≪漢語≫として、「一人(いちにん」「意地(いじ)」「医者(いしゃ)」があげられているのと対比して、<語頭なる「い」> の発音を考察しています。〔純国語では「い」と発音することは鮮(すくな)けれども、他はエと発音す〕との指摘です。〔漢語なるは一人、意地、医者等は、エと発音すれども此の他は、エと発音すること少し〕と指摘。 〔いそんぐ・いんづみの如く、上に少し鼻音を帯びたる濁音は、く、つ の如く記す〕の〔く、つ〕は、〔ぐ、づ〕の誤植でしょう。 | ||
*注② | 〔ア韻の下なる「い」〕の項については、さきにも少し触れたのでしたが、もう少しゆっくり歩いてみます。 〔ア額の下なる「い」〕という音は、例示の単語にみられるように、語中に、 | |
・貝 kai ・財布 saihu ・無い nai ・太鼓 taiko ・灰 hai ・暗い kurai | ||
のように、ア韻の次に「い」のつづくもの。ローマ字で示すとわかりやすいかと思います。どの語にも語中に「アイ」をともないます。このとき、この「アイ」の発音が、東北ではきまって(法則的に) | ||
・貝 ケァ ・灰 へァ ・無い ネァ | ||
となります。この項では(『平鹿方言考』では)〔ケャ・へャ・ネャ〕の表記をとっています。 法則的に音変化をとる、この「エア」を国際発音記号〔æ〕をかりてあらわします。 | ||
・貝 kai → kæ ・灰 hai → hæ | ||
音声学などでは、「東北方言のもうひとつの母音(æ ェァ)」とされるのですが、この項で、〔ア韻の下なる「い」〕という表しかたをとって的確に考察しているのがわかります。ここでは、「発音記号 æ 」の引用をさけて、ローマ字での例示のしかたをとっているのですが、平易に説明しようとする配慮、工夫のあとがわかります。 | ||
*注③ | 十一項の「な行」、十三項の「ま行」の子音はともに鼻音です。「な行」の子音・n は息を鼻にぬいてつくります。上の歯ぐきに舌をくっつけてつくるので、舌さきの鼻音といわれます。「ま行」の子音・m も息を鼻にぬいてつくりますが、くちびるをとじてつくるのでくちびるの鼻音といわれます。 な行でも n の子音のまえに、ま行でも m の子音のまえに、それぞれみじかい鼻音(はねる音)があらわれます。 | |
* はんな(花) おんに(鬼) いんぬ(犬) | ||
* くんま(熊) ぬんま(沼) のんむ(飲む) | ||
方言では、語の中で次にくる n、m の発音のし方にひっぱられて、みじかい「ン」がはいります。これは法則的です。 なお、次のばあいもおなじです。 | ||
* くんび(首) かんべ(壁) ・ 子音 b の前に * うんで(腕) はんだ(肌) ・ 子音 d の前に * かんぜ(風) かんじ(火事) ・ 子音 dz の前に | ||
ともすれば見落とされ勝ちな、しかも短い「ン」があらわれる「な行」、また「ま行」での法則的な方言の発音について精細に考察しています。 | ||
*注④ | 十五項での「る」、十六項での「れ」のともに抜け落ちてしまう方言での発音の例を、とおく『万葉集』そのほかの古典(とくに歌に)までさかのぼっての考察の例です。 「る」での脱落の例示。 | |
・ その物を著(ル)べーが。 | ||
・ 明日早く起き(ル)べー。 | ||
横手の方言では、そんなに多くはないようにみられます。どうしても郡部の例のようです。 「れ」での脱落の例示。 | ||
・ 「書えた(レ)ば」 | ||
・ 「来た(レ)ば」 | ||
・ 「取った(レ)ども」 | ||
わかりやすい例示です。「レ」の脱落は、ふんだんにみられ、法則的です。郡部での「取ラダ」「倒サダ」の例もうなずかされます。 こうした語中の「る」「れ」の脱け落ちは、古い時代に、すでにあったという考察は、さすがです。語法を專門とされた細谷則理は、また、歌人でもあったというのですから、研究の広さとその深さを示す一例なのかも知れません。 | ||
*注⑤ | 万葉の原文にあたってみると、巻17[3969]に次のようにありました。 「・・・・玉ほこの 道の遠けば 間使いも 遣るよしも無み 思ほしき 言も通はず 玉きはる 命惜しけど・・・・」 |
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