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六、≪参考≫

≪参考(2)≫ 『喧喧諤諤』 (けんけんがくがく)

「…できあいの考えを“おうむがえし”に伝達するというのではなく、…言語(語いと文法)のなかには、過去における人びとの思考活動の成果が、一般的な形で、社会的に定着しているので…われわれは、そうした言語をつかって、-- 過去の思考活動の成果のたすけをかりて、あらたな現実にたちむかい、それを認識していく……」
(『日本語文法・形態論』鈴木重幸著/序説より)  

わたしたちが、ふだんつかっている語(ことば・または文)には、「過去における人びとの思考活動の成果」が、「社会的に定着している」もので、そうした「過去の思考活動の成果のたすけをかりて」、現在のわたしたちはあたらしい現実にたちむかっている……という要旨といっていいでしょう。過去の思考活動の成果をになっている言語のたすけなしには、いまのわたしたちの言語活動は成り立たないというわけです。

ところが、「過去の思考活動の成果」をあやまってつかってしまうという≪誤用≫があります。≪誤用≫とわかれば、あとは正しい使い方にもどればいいのですが、その≪誤用≫が「社会的に定着して」しまった例もみられるのです。たとえば、『喧喧諤諤』(けんけんがくがく)といった語など。

ふだん、あまり耳にすることが少なくなった語なのですが、この語のあしあとを少しさぐってみようかと思います。

視力が落ちてなのか、細かい活字がみえにくいので、手もとに「電子手帳」とかいうらしいのがあって、指先でちょこちょこ押すとパッと熟語漢字があらわれる重宝なものです。「早引き漢字辞典」(旺文社)とか。これをつかって、「けんけんがくがく」をさがすと、パッと出てくるのが、『喧喧囂囂』(けんけんごおごお)。いくらやっても『喧喧囂囂』なのです。別にして、「がくがく」だけをおすと、『諤諤』は出てくるのです。

これではラチがあかないので、少し古い昭和32年(1955)版の『例解国語辞典(中教出版)』でさがすと次のようです。

けんけんごおごお〔喧喧囂囂〕
[文語的な用語]多くの人がやかましく騒ぎ立てるさま。
「--たる非難を浴びせる」
「要求を拒絶されて--と騒ぎ立てる」

ごおごお〔囂囂〕
音や声などが強く響きわたるさま。騒々しいさま。
「--たる非難を浴びる」
「場内が喧喧--となる」

この『例解国語辞典』(昭和32年版)には「喧喧がくがく」も、また、「がくがく」も出ていません。この年代では、「喧喧がくがく」の語の≪誤用≫は、まだ社会的には認められていなかったということでしょうか。こうした語は、漢語ですから、『新漢和辞典』(大修館書店版/初版発行・昭和38年/四訂版・昭和50年)をさがしてみると次のようです。

【侃】 △ カン
正しく強い。
やわらぐ。
やさしい。ゆったりとしてやわらか。

【侃侃】 カンカン
やわらぎ楽しむさま。また、剛直なさまとも言う。(「論語」)

【侃侃諤諤】 カンカンガクガク
剛直で遠慮せずに正義をはくさま。諤諤もはばかることなく直言するさま。


【喧】 △ ケン・カン(クヮン)
かまびすしい(かまびすし)。やかましい。大声でがやがや言う。
盛大なさま。きわだって現れるさま。

【喧喧囂囂】ケンケンゴウゴウ
口やかましく騒ぎ立てるさま。


この『新漢和辞典』でも≪誤用≫は取り上げていません。【侃侃諤諤】も(出典は「論語」)、【喧喧囂囂】も、そのもともとの語のかたちを正確にあげているのがわかります。さすがに漢和辞典です。 そこで、図書館へでかけてかたっぱしから調べてみました。図書館もさすがは古いものは置かないようですが、とにかく棚の辞典類を調べました。まず、『大辞林』(三省堂)(昭和63年〔1988〕新/平成年1年〔1989〕 7刷)によると次のように変化があらわれます。

けんけん【喧喧】  がやがやとやかましいさま。
--がくがく〔喧喧諤諤〕  さまぎまな意見が出てやかましいさま。
〔「侃侃諤諤」と「喧喧囂囂」とが混同して用いられた語〕
--ごうごう〔喧喧囂囂〕 多くの人が銘々勝手に発言してやかましいさま。
「不注意な発言が--たる議論をよびおこす」

同じような説明が『国語大辞典』(小学館)にもあります。

けん・けん【喧喧】  騒々しいさま。やかましい様子。
--がくがく【喧喧諤諤】 (「喧喧囂囂」(けんけんごうごう)と「侃侃諤諤」(かんかんがくがく)との混交語) さまざまな意見が出て、口やかましいさま。

ふたつの辞典とも、【喧喧諤諤】(けんけんがくがく)の語はもともとはちがった語であり、ふたつの語の≪混同≫であり、≪混交≫なのだとしています。つまりは、≪誤用≫を認めているものといえましょう。このことをはっきりと言い切っているのが『講談者カラー版日本語大辞典』(平成一年 <1989> 第一版)です。

けんけん・ごうごう【喧喧囂囂】
口々にやかましくさわぎたてるさま。わいわいがやがや。
<参考> 「侃侃諤諤(かんかんがくがく)」と混同して「けんけんがくがく」と用いるのは誤り。

平成一年版『日本語大辞典』では、 <「喧喧諤諤(けんけんがくがく)」ともちいるのは誤り> としています。辞典が「社会的に」この語の≪誤用≫を認めたということです。

≪混同≫≪混交≫≪誤り≫といった、この語のもつ事情を、天下の『広辞苑』でみると次のようです。『広辞苑』の初版は昭和30年(1955) 5/25、昭和44年(1969)5/16、に第二版が出され、手もとにあるのは、この第二版補訂版(昭和51年 <1976> 12/1)です。

けん・けん【喧喧】 やかましいさま。がやがや。
--・ごうごう〔喧喧囂囂〕 口やかましくさわぐさま。
かんかん【侃侃】 剛直なさま。
--・がくがく〔侃侃諤諤〕 侃諤に同じ。
かん・がく【侃諤】 剛直で言を曲げないこと。
憚ることなく論議すること。
侃侃諤諤。

このように、『広辞苑』初版、二版には【喧喧がくがく】は記載されていないのがわかります。三版は市の図書館にもないのですが、四版になってようやくの登場です。

けん・けん【喧喧】  やかましいさま。がやがや。
--・がくがく【喧喧諤諤】
(「喧喧囂囂(けんけんごうごう)と「侃侃諤諤(かんかんがくがく)」とが混交して出来た語)  多くの人がいろいろな意見を出し、収拾がつかない程に騒がしいさま。「--として議長の声も聞こえない」
--・ごうごう【喧喧囂囂】
たくさんの人が口々にやかましく騒ぎたてるさま。「--たる非難」

天下の『広辞苑』も、≪誤用≫を無視できず、四版にいたって≪混交≫をあげるようになります。初版(1955/昭和30年)から、四版(1991/平成3年)までは36年たっています。はじめは認知されなかった【喧喧諤諤】でしたが、ようようにして≪誤用≫が「社会的に」認められ、≪誤用≫ としての使用が「一般化され」るようになったわけです。五版は(1998/平成10年)で、おなじ記載内容です。

四版・五版での、この【喧喧諤諤】(けんけんがくがく)の語の意味については、もともとの【喧喧囂囂】(けんけんごうごう)との違いが、はっきりしないようです。例としてあげられてある、「--として議長の声も聞こえない」などは、むしろ、【喧喧囂囂】の意味であって、「--たる非難」とおおきく違わないようです。≪誤用≫から出発したあたらしいこの【喧喧諤諤】は、もっと少人数的な集まりでのにぎやかな意見の出し合いといったほどのニュアンスでないかと考えます。民主主義の成長といったものと無関係ではなさそうに思われます。時代のそうした必要から、これまでになかった、この【喧喧諤諤】というかたちを借り、あたらしい意味をになうようになったと考えられます。

『辞書』に、ようよう登場、ひとりだちを認められた格好なのですが、この意味の厳密な規定は、やはり、これから十年先になるのかも知れません。ことばと言えども、そのかたちと意味は、ともに生きてうごいていることの証しのひとつと言えるでしょうから。

(1999・2/28)


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