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六、≪参考≫

≪参考(1)≫ 「寒のわかれ」

横手、また山内地方に、「寒のわかれ」ということばがあります。

その年によって違いますが、ふつう、2月4日ごろを指すようです。 古くからいい伝えられてきたと思われますが、辞書類にもみえないので、どうもはっきりしません。おなじなかまの「寒の入り」「寒九の雨」な どのことばは辞書にもでているのですが、辞書にみえないから、だから方言と決めつけられるものでもないようです。地域のくらしと深く結びついていることばなのですから、すこし探ってみたいものです。

この「寒のわかれ」が使われるのは、その年によって「寒のわかれ」とされる時刻の違いからきているようで、その時刻の天候具合で

「今年は、『寒のわかれ』で荒れたから、これから四十八日荒れる!」

などというようです。四十八日間も荒れる!ということは、ほぼ二か月にもおよぶ天候不順を指すのですから、農家にとっては大変なことです。それこそ待ちに待っていた春三月、その春が、その手からとり逃がしてしまうことは、農事とかかわるだけに、くらしのうえでの切実さをもったものであったに違いありません。

この「寒わかれ」と似たことばに「寒明け」があり、これは辞書などにもあります。

【寒明け】 〔寒明ける・寒終る・寒過ぎる〕
「寒は小寒(1月5日ごろ)大寒(1月22日ごろ)を経て 更に十五日目に当たる節分までの約三十日間。その終わりが寒明けであるから、事実は立春と同じことになるが、耐えてきた寒さへのおもいを深くこめた言葉である。よろこびというよりもむしろ、ほっとした安堵の気持ちがこめられている。言葉のひびきでも、暗と明をきっぱり区別して感覚に訴えるところがある。(以下略)
(『大日本歳時記』≪寒明≫より)  

この『歳時記』の「寒明け」と、横手・山内地方での「寒のわかれ」とは、意味の上では同じで、「耐えてきた寒さへのおもいを深くこめたことば」ということができるでしょう。しかし、この語のもっている感情的な側面では、「寒明け」では、「ほっとした安堵」の気持ちがつよいのに対し、「寒のわかれ」では、寒さ、また雪国の雪の重圧とのきっぱりした「決別」の思いをこめたものを感じてしまいます。春を待ちに待つ雪国ならではのことばといえるものがあります。

ところで、その「寒のわかれ」の時刻については、ただの言い伝えぐらいの程度にしか理解していなかったうえに、おかしなことをいうもの、不思議なことをいうものとぼんやり思っていたものです。このことばが気になりだしていたころに、新聞記事が目に飛びこんできたのです。3月4日の新聞でした。社会面の <天気> の項の、〔3日18時、ひまわり5号の赤外画像〕に添えた「春に向かう立春」と題した短い文です。

「立春」は二十節気の一つ。今年は今日(4日)の午前3時29分となっています。立春のころはまだまだ寒さが続きますが日照時間は少しずつ長くなり、日差しの強さを感じるようになります……(略)

この記事のいう「4日の午前3時29分」が、横手・山内地方でいわれている「寒のわかれ」の時刻をいっているようです。が、なにをもとににした「3時29分」なのかわかりません。まわりに聞いてみてもどうもはっきりしません。元高校の地学の先生にお聞きしてみたのですが、こちらの知識の程度・範囲をはるかに越えての説明には降参してしまいました。

そこで、思い切って東京の本社編集局・社会部宛に手紙をだしてみたところ、さっそく電話がはいり、「わたしも、くわしいことはわかりませんが…」と記者氏は言いながら

「二十四節気のひとつ立春は、太陽が黄経315度に達する時刻をいいます。気象学の専門家は、その315度の位置に達した時刻を立春ということ。現代ではその日のことを立春といってるようです。おたずねの『寒のわかれ』ということばはわかりません。おもしろいことばですね…」

と、ていねいに教えてくれました。そのうえ、横手のことばがほめられたみたいで、少し気をよくもしたところです。

なるほど、さすがです。太陽と、地球の公転運動をもとにした二十四節気は、中国伝来の歴法。太陽が黄経の各点(角度)を通過する時刻であって、それぞれ、小寒(285度)/大寒(300度)/立春(315度)……春分(360度)というわけです。太陽の位置の15度づつの季節変化を指します。「黄経」については、「天球上の一点から黄道に下した大円の足を、春分点から測った角距離…」と辞書では説明しています。わからないことが多いのですが、その「3時29分」は立春の点に(つまり、太陽が黄経315度に位置する)到達する時刻をいうわけです。

3日は「節分」、そして、4日は「立春」。同時に「寒明け」。横手・ 山内地方でいう「寒のわかれ」は、「寒明け/立春」と同じだとしても、とりたてて時刻に、その気持ちのありようを置いたようにみます。ですから、「節分」の「分」は「分かれる」を意味しますから、「寒のわかれ」もその「分かれ」の字をあてるのかも知れません。しかし、横手・ 山内地方の人たちにとっては、「寒明け」のほっとした安堵もさることながら、そのうえにきっぱりとした、寒さとの(また、雪との)「決別」の方を選んだのだと思われてなりませんから、「寒の別れ」なのかも知れません。くわしいことはわかりませんが。

さて、「寒のわかれ」にまつわる言い伝えの <四十八日の荒れ> について、さきにも少し触れたのでしたが、いったいこの <四十八日> は、どこからでたものでしょうか。

まだまだ、あれる空

山内村三又小学校四年   
高橋久美子

「寒のわかれ」で、あれてから、
今日あわせると十九日たった。
まだまだあれる四十八日間は長い。
昨日は、いい天気だったのに、
今日は、あれぐあい。
つららも先をとがらせて
さむそうにしている。
桂子さんの家の屋根がさむそう。
ほかの家もさむそう。
学校もさむそう。
まだまだあれる空。
ああ、
その半分でも晴れてほしい。
(84・2・25)   
<三又小学校三・四年学級通信「きかんぼ」より>

子どもの詩にも、ちゃんと <四十八日> はうたわれているほどです。山内地区のある集会でたずねてみたところ、年配の方々が口を揃えて、次のように話してくれたものです。
「それは、彼岸の中日までの四十八日間!」
なるほどと、うなづけました。 <四十八日> は、その根拠をりっぱに二十四節気にもとづいていたのです。これにはおどろかされてしまいました。冬から春への節気丸ごとの「荒れ」を指すというのですから、大変なことになりましょう(そこで、筆者も指をおって立春から春分までの日数を数えてみたのですが、数え方が下手でなのか四十五日。これには参ってしまいましたが。でも、彼岸の過ぎ端(すぎは)までを勘定にいれると、ちゃんと四十八日。二十四節気をもとにしていることは確かなことといえます)。

こんどは、脇道にそれることになるかも知れませんが、「寒のわかれ」を中心にした、いくつかの風習についても触れてみます。それは、新しい春(年)を期しての「作占い」とでもいえるものです。

まず、市内大町下町・大沢吉之助さん(大正9年生まれ)からお聞きしたものです。大沢さんの父親(明治27年生まれ 没88歳 生前、昭和58年頃のお話し)…その日、「寒のわかれ」の日、つまり、「立春」となった日の24時間を12等分して、それを十二か月(一年)に見立て、その時間の天候(気象)をみて、一年の作占いをする、ものだったそうです。何時のときは荒れたから、その月は天候不順、何時のときはよく晴れたから、この月は気象状況はよし!といったふうな「作占い」だったものでしょう。

「立春」の日の一日を、一年にみたてての気象占い=作占いは、当たる・当たらないということとは別に、今年という年の、地もと・足もとの地域の『農事暦』のイメージ化そのものだったといえることなのです。 何月の天候は荒れそう、種おろしは遅れそう…などという見立てを持てば、おのずとそのことへの対応という手立てを心準備しておくことを可能にします。いざというときを心始末しておくことなのです。土への、農事への祈りに似た準備そのものだったといえましょう。

山内地区でも、「節分」行事の≪豆焼き≫のひとつに

「…また、<作占い> をする。すなわち、白く焼けると吉、黒く焼けると凶。いろりの灰に十二粒(十二月分)を埋め、焼け具合で判断する」

と、『山内村史』は記述しています。これを裏付けるように、「旧正月十五日夜せつぶん豆焼ためし」(『山内村史・別巻』≪資料目録 i 私事雑録≫)のあることを資料としても確認しているほどです。資料の出どころは、もと外山の御獄山神官・三梨家(現・山内字軽井沢)で、藩政期の古い家柄で知られています。年代不詳の資料ではありますが。


これまで、みてきたように、「寒のわかれ」には雪深い地域の土着の思考と意味が折り合わさったものであったことに思いをつよくします。

「節分」の日であり、「豆まき」の日でもあって、日本古来の伝習を引き継いでいることではあるでしょう。子どもは無心に、「鬼は外、福は内」と豆をまいてきたわけですが、そのくらしの根っこのとこで、「寒のわかれ」の土着の思いとことばを育て上げてきたのだといえましょう。

それは、確かに中国暦法の天体の歩みをもとにした二十四節気をもとにしたものではあるとしても、「寒のわかれ」にみせる、たとえば「気象占い」、また、「作占い」などの風習には、地域の地もとの、足もと の土を耕す人たちの「農事暦」のイメージ化そのものだったことを知らされるのです。「寒のわかれ」ということばには、雪国ならではの意志を感じてしまいます。寒さも格別ながら、雪の重圧にはあらがいえない ものを感じていたからこそ、寒さ(また、雪)との「決別」に深い思いを抱いたに違いありません。立春は、いよいよ春の始まり、冬との「決別」は当然としても、そのうえに新しい春(年)の土に生きることへの「掲望」とが織りなすことばです。

「寒のわかれ」ということばは、「節分」の別称ということになるのでしょうか。雪国の人たちのこれから、いよいよ春に向かう季節の節目を、借りもののことばでなく、雪国ならではの思い、そうした決意をこめて育てあげてきたものといえるのではないでしょうか。


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